September 10, 2008

星野仙一考

子供のころに読んだ小噺である。

檀家さんから、おいしい大福を頂いた和尚さんが、小僧たちにも食わしてやろうと、起こしに行った。ちょっとマセた小僧は、「起こされて、すぐに返事をしたら、夜更かしをしてたと思われる」と考えた。そこで、一回目に起こされた時には、寝ているふりをして、もう一度起こしてくれたときに、ちょっと眠そうに起きようと算段したのである。

が、お越しに来た和尚さんは、返事をしない小僧を見て、「おお、よく寝ておるな。起こしてやるのもかわいそうじゃ」と、他の小僧を起こしはじめた。談笑しながら大福を食べているみんなの声に、悶々とした小僧は、ついに自分で起きて行って「和尚さん、お呼びですか?」とやった。みんなは、その小僧の慌てっぷりに大笑いした。

星野仙一氏は、優れた政治家である。議員ではないので、政治家という物言いは、正確ではないかもしれないが、政治的手腕、嗅覚に優れている。ことに、マスコミを利用した情報操作や、実力者に取り入る術は、機を見るに敏である。

北京五輪における、「日本プロ野球」の失墜については、もはや語りつくされた感もあり、ここでは新たに語ることはない。ただ、星野仙一氏が、野球指導者として、テレビやスポーツ新聞が報じるほどのスーパーマンではないことが、露呈したしまったことには、一言付け加えておきたい。また、その後のテレビ出演等で、言い訳に終始した星野氏に、過去「理想の上司」に一票投じた人たちも、残念な思いをしたであろうことは、想像に難くない。

そもそも、星野仙一という人は、投手としても、指導者としても、特筆すべき成績を挙げたわけではない。中日の監督時代には、上原晃や与田剛、森田幸一といった才能あふれる若手投手を、一つ覚えのように来る日も来る日も登板させて、次々と潰していった印象が強い。五輪の川上憲伸・岩瀬仁紀の、鬼の起用を見て、当時を思い出した人も多いだろう。20年前と、なんら変わっていないのである。

新庄剛志は、現役時代、ヒーローインタビューで何を言おうか考えながら、プレイしていたことがあると、明言したことがある。これは、1プレイヤーだからこそ、許されたものである。星野氏の采配には、これぞ闘将の野球と、思って欲しいんだろーなー、という青写真が見え隠れすることがある。わかりやすく言えば、上原浩治再建宣言である。原辰徳監督の心中いかばかりか。星野氏より年少だから、表立って不満を述べないから言えたことであろう。

また、「仲良し内閣」と揶揄された、田淵幸一・山本浩二両コーチについては、僕は、星野仙一という人の、寂しさを感じる。星野氏と両氏は、六大学時代にしのぎを削った盟友である。つまり、親友は、大学時代にまで遡らねばならなかったということであり、投手出身者に至っては、山本浩二繋がりで、大野豊氏に頼む他なかった。鈴木孝政や高木守道・宇野勝など、ぱっと思いつくだけでもコーチとしての働きを期待できる中日OBはいても、星野氏とのつながりは希薄である。

上昇志向が強すぎて、周りの人間に目が向かなかった男の悲哀すら感じた。

さて、星野氏は、ご自身のサイトにて、WBCの監督にはつかない旨、仰っていたが、当然、星野氏の思惑は、別のところにあるのは、ご承知のとおりである。御用新聞のうち、サンケイスポーツは、この発言を一面に持ってきた。スポーツ報知は、ジャイアンツの敗戦を敢えて一面に置き、星野発言は全く表面化させなかった。相変わらず両面からアドバルーンを揚げて、反応を探る方策をとったのである。

星野氏の描いたシナリオは、こうである。

星野氏がWBC監督就任を拒否→白紙に戻った監督人事で球界が紛糾
→準備のためにも早期に監督を決定する必要性が生まれる
→(読売報知を中心に)やはり星野氏でなければという「世論」が生じる
→「ぜひ星野さんに!」の声に「しゃあないなあ…」と重い腰を上げる

そんな星野氏の姿を見て、冒頭に申し上げた小噺を思い出したのである。
もうひとつ、アキレス腱断裂という大怪我を乗り越え、中日の4番打者として活躍した、
谷沢健一が引退を決断したといわれるアドバイスを思い出した。

曰く「男は、引き際を誤ってはいけない」

発言の主は、当時の中日監督、星野仙一である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 18, 2008

ものごとの本質

弁当に狼狽えたのである。

とあるスポーツイベントの、とあるお仕事のお手伝いをした。そこに、弁当が出たわけである。これには困った。いや、別に弁当が大層まずかったわけではない。電子レンジがなかったせいで、物足りなくはあったのだが、問題はそこではない。

僕らは、7~8人くらいで仕事をしていたわけだが、弁当が30個送り込まれてきたのである。おそらく、どの仕事単位が何人、というわけでなく、30個を1単位として納品された、ということなのだろう。

僕は3個食べた。美味しかった、のではなく、仕事グループのトップから、とにかくたくさん食ってくれと頼まれたのである。僕らはたくさん食べた。リーダーも2個は食べていたと思う。このときの弁当には辟易とした。

なぜ、そんなに一所懸命食べたのかというと、ここで人数分しか食べないと、次回の同じ仕事の時に、今日食べた分の弁当しか送り込まれてこないというのだ。たとえば、7人が7個食べたとして、次のときに9人来たとしても、7個しか弁当が来ないのである。だから、次の人のために、僕は一所懸命弁当を食べた。

弁当には困った。

が、これがもし、「お金」だとしたら、話は別である。
どんっと300万円手渡されて、「これを今日中に使い切ってくれ。今日中に使い切らないと、次はお金を減らされてしまうんだ。一所懸命使ってくれ!」と言われたら、僕は何を差し置いても、頑張って使い切る所存である。汗をかいて、歯を食いしばって、300万円を使い切ってあげたい。次の人のためにも、必死の作業である。

もうお分かりだろう。我が国の予算の話である。

昨年度、日本国の歳入(税金や公債で入ってくるお金)がおよそ83兆円、歳出(使ったお金)がおよそ83兆円。各省庁では、予算を使い切ろうと必死になって、毎年予算は多くても数十円しか余らないというのだ。

福田康夫首相は、消費税の増税に言及をはじめ、いわゆるガソリン税やたばこ税の増税の論議も出始めている。後期高齢者医療制度についても、高齢者の医療費が財政を圧迫しているからだと言う。

違うでしょう。たとえば歳入が増税によって増えて、83兆円が95兆円になったところで、12兆円がこれまでの赤字の補填や年金受給に回されるのではなく、歳出がなぜか95兆円に増える、それだけのことなのである。そうしてまた財政赤字を理由に、次の増税のアテを探すわけである。

ものごとの本質を見誤ると、常に話をすり替えられて、こんなことになるわけだ。歳入を増やすことより、まず歳出を減らすことを考える、財政赤字を考えるときには、ここから視点をぶらしてはいけない。天下り法人を清算するのか、無駄な公共工事を減らすのか、いずれにしろ話の軸には歳出削減がなくてはならない。もちろん、医療費削減などは弱い者イジメであって、歳出削減とは、これも本質が違ってくる。

自民党の古賀誠氏が、講演会で「衆議院解散は、来年の任期切れ直前がよいだろう」と発言していた。発言の本質は「来年まで延ばせば、多くの国民は後期高齢者医療制度や年金問題への関心は、薄れているだろうから大丈夫だろうな」ということである。

最後にきてなんだが、実は僕も薄々そうなるだろうな、とは思っているのである。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

September 28, 2007

ビルマ

ビルマのことを記しておきたいと思う。

現在のビルマが、非常に憂慮すべき状態にあることは、ご承知の通りである。危急の事態と言ってもいい。すでに国際社会から取り残されている軍政の独裁も、20年近くになんなんとしているが、ポルポトやマルコスのような存在がいない分、これまでビルマの圧政については、クローズアップされることは少なかった。

今回、僧侶の反政府デモに端を発した民衆弾圧は、改めて現在のビルマ軍政の持つ問題を浮き彫りにした。これまで、圧政がクローズアップされてこなかった一因が、徹底した情報統制にあったであろうことも、また明らかになったのである。

日本人のフリージャーナリスト長井健司さんが、ビルマ軍兵士に至近距離から狙撃され、亡くなった。この愚挙についても、情報統制の一環とも言える。長井さんは、ビルマ兵士に銃を向けられ、逃げまどう市民たちを撮影していたという。軍政からしてみれば、長井さんの撮った写真は、あるべからざるものであったのである。今、ビルマ国内では、インターネットは繋がらない。もちろん、情報が入ってくることだけでなく、長井さんの写真のように、ビルマで起こっている事態が海外に漏れることを極力防ぐ意味もある。

当初、長井さんは兵士が発砲した銃弾の、流れ弾に当たって亡くなったと報道された。しかしながら、これすら報道統制の結果だった。心臓を打ち抜かれた凶弾、そして、長井さんが撃たれたとみられる瞬間の映像がなければ、長井さんの死は、「不慮の事故」と見なされかねなかったことを思うと、胸が締め付けられる。

昨晩、TBSのニュース23を見ていると、ビルマの情勢に詳しい上智大学(だったと思う)の教授が出演していた。教授は番組の中で、ただ一人、かの国を「ビルマ」と呼び続けていた。僕と同じ思いを持ってのことだろうと思う。その理由はもちろん、

「ミャンマー」という国名に変えたのは、他ならぬ軍政だからである。

ラングーンという都市名がヤンゴンに変えられたのも、同じ時であった。国名が変えられた頃は、ビルマと呼び続ける人も多かったが、時が経つにつれ、軍政の作った国名に多くの人が慣れてきた、というか、こういった経緯についても、風化しはじめてきているのである。

今回の圧政により、国際的な非難を受けることになった軍政は、もう長いことはもたないだろう。もっとも早い解決策としては、アメリカが、ビルマにおける中国・ロシアの利権を維持することを認めることである。そうなったら、週をまたがずに、後ろ盾を失った軍政は倒れる。ただ、イラク・アフガニスタンの現状を見てもわかるように、ジョージ・ブッシュJrという人は、「すべての利権をテキサスに」との姿勢を崩すことのない人間である。ビルマにおける利権を得ることがなければ、アメリカは静観に向かう可能性もある。

それでも、何をさしおいても、このような圧政は一刻も早く倒されなければならない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 30, 2007

歌手・植木等

植木等が亡くなった。

僕はもちろん、シャボン玉ホリデーも無責任時代も、リアルタイムで見てはいない。だから、僕にとっては、植木は、喜劇人というよりは、ハナ肇とクレイジーキャッツのボーカリストなのである。植木の、天に抜けるような、伸びやかで、朗らかな歌声は、僕の永遠のあこがれだ。たとえば、国定忠治をモチーフにした名曲、「めんどうみたヨ」の第一声、「♪せなーにー」と始まる植木の声の、なんと天衣無縫なことか。ああ、一度でいいから、植木の声で唄ってみたいものだ。

もともと、クレイジーキャッツの歌は、何曲か知ってはいたが、改めて植木ののどに気がついたのは、かつてTBSラジオの深夜に放送していた、所ジョージと泉谷しげるの番組「所で泉谷のオジサンってまんまるい」(だったと思う)に、植木がゲスト出演した回だった。以下の植木の発言・エピソードは、この回の放送のものからである。テープに録って何度も何度も聴いたが、思い出して書いているので、完全に正確なものではない。

この放送では、植木の珍妙な生い立ちについても語っている。ある年のクリスマスに、所が植木の家を訪ね、クリスマスプレゼントを渡した。すると、植木は不思議そうに言った。「なんで俺の誕生日を知ってるの?」驚いたのは所の方である。植木の誕生日は、昭和2年の2月25日だからである。

この昭和2年2月25日は、戸籍上の誕生日であって、実際の誕生日は、大正15年12月25日なのだと植木は言う。「親父が親戚に出生届を頼んだら、忘れてたらしいんだよ。酒の席で『せがれの届は出しといてくれたか?』って聞いたら『あっ、忘れてた』って。高い罰金を取られたらしいけどね」それにしても、大正15年→昭和2年とは、ずいぶん離れているようだが、実は、この間には、2ヶ月しかない。

植木が生まれたのは大正15年の12月25日だが、病弱の大正天皇が在位わずか15年で崩御し、摂政だった皇太子裕仁が昭和天皇に即位したのが、12月26日。つまり、植木の生まれた翌日には、昭和元年となったのである。で、年が明けると、昭和2年。植木の戸籍上の誕生日は、それから二月たって訪れるわけだ。「親族で話し合いをして、日にちだけでも合わせとこうって、2月の25日になった」ずいぶんのんびりとした時代である。

その放送の中で、クレイジーキャッツの歌が何曲も流れた。「めんどうみたヨ」を初めて聞いたのも、この日だった。流れる曲流れる曲、僕の心にヒットした。有名な「ハイそれまでヨ」も、改めて聞いてみると、楽曲として、すでに秀逸だった。特に、一つ目の間奏の、疾走感というか、グルーブ感というか、その心地よさは、クレイジーキャッツというグループが、「コミックバンドの名演奏」ではなく、「秀逸なジャズバンドのコミカルな演奏」をしていることを、はっきりと認識させる。

歌詞でいうと、「酒のめば」や「こりゃシャクだった」のようにサラリーマンの日々を唄ったものから(「こりゃシャクだった」の前奏も一聴の価値有りである)、「遺憾に存じます」「これで日本も安心だ!」のように社会風刺を唄ったものまで、植木は鮮やかに歌いこなしている。亡くなったのを期にというのも変な話だが、歌手・植木等というものは、もう一度見直されるべきではないかと思う。

植木=無責任男と見られがちだが、植木はこうも言っている。「無責任男っていうのは、こう、飄々と生きているように見えるだろ?でも、実は白鳥みたいに、水面から見えるところではすいすい泳いでるけど、水の下ではカーーーーッと必死にかいてるんだよ。だから、無責任男っていうのは、実は、モーレツ社員なんだよ。そこを人に見せるか見せないかの違いなだけさ」とかく、楽をしてすいすい泳ぐことばかりを求める今の風潮を、無責任男・平均(たいらひとし)は、どう見ているのだろう。まさに「これで日本も安心だ!」である。

昭和の名エンターテナーの死に、翌日の新聞には「国民栄誉賞」の声も聞かれた。夏の参院選を前に、安倍首相としても、少しでも人気を上げておきたい、というイジワルな見方で、植木の国民栄誉賞も、との記事もあった。この放送の中で、植木をリスペクトする所・泉谷から、植木さんにこそ国民栄誉賞をあげるべきだと話を振られた植木が、国民栄誉賞について常々思っていることがあると、こう語った。その言葉を最後に記しておこう。

「よく死んでから国民栄誉賞をもらう人がいるだろう?死んでからもらったって、『手遅れ』なんだよ」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 23, 2007

さよならプロ野球

間もなくプロ野球が開幕するそうである。

まあ、どうでもいいことではある。放送していれば見る機会もあるかもしれないが、球場に足を運ぶことは、まずないだろう。

西武ライオンズの裏金問題に端を発した、ドラフト制度、特に逆指名(希望枠)撤廃問題は、予想通り成果なく、現状を維持することに成功した。構造改革を掲げながら郵政民営化でお茶を濁した、小泉政権を彷彿とさせる。大山鳴動して鼠一匹どころか、ゴマ一粒さえ出てこない、もう自浄作用はゼロであることを、内外に強く示すことにも大成功を収めたようである。

いわゆる「栄養費」の問題は、根が深く、歴史が長い。どれだけ歴史が長いかというと、立教大学時代の、長嶋茂雄は、南海ホークスから、というより、ホークスの鶴岡一人監督から、「お小遣い」を貰っていたという。その小遣いを長嶋のもとにまで持って行っていたのは、当時ホークスの外野手で立教大の先輩でもある、大沢啓二だった。だが、ジャイアンツは、家族を射落とし、長嶋獲得に成功する。その時の大沢の明言が「仕方がないな。あいつは巨人のユニフォームの方が似合うもんな」

銭が飛び交う選手獲得競争に、プロ野球界はドラフト制度の発足で対応した。しかしながら、ドラフト発足時から、すでに、敢えて抜け道を造っておいた。ドラフトの機能の、もっとも根幹にあるものは、「ウェーバー制」である。下位の球団から、順番に指名をしていくことで、戦力の均等化を図る。当然の方策であろう。

しかし、強豪球団の反対で、ウェーバー制は見送られた。その後の、ドラフト制度の無力化を推進する改革の数々は、現状をしっかりと支えている。逆指名も、フリーエージェント制も、強豪球団の意のままに行なわれたから、強豪球団の都合のいいように変わっていった。

もちろん、お金という麻薬の中毒に陥り、翻弄されて骨までボロボロになっているのは、プロ野球界ばかりではない。昨年のドラフトで、意中以外の球団から指名された選手が所属する大学の監督は、「本人は12球団の中で、一番行きたくない球団だと言っている」と、指名に激怒し、数日後に発言を撤回し、謝罪している。本人ではなく、監督だったということが、この問題のミソである。

金をばらまく方だけではなく、要求する方にも中毒症状は蔓延している、というわけである。これは、一朝一夕に治癒される症状ではない。

ただ、徐々に治していく手だてはある、と僕は思う。

ヤクルトスワローズや、北海道日本ハムファイターズ・千葉ロッテマリーンズは、今年のドラフトから、逆指名(希望枠)を使わないことを、示唆している。この姿勢は、大変に偉大なことである。

ひとつでも多くの球団が、この姿勢に賛同し、逆指名枠を自ら放棄することで、中毒の根源を浮かび上がらせることはできよう。また、アマチュアの側から見ても、「ここの球団に指名されなかったら、プロに行かない」という宣言がどこから生じるのか、そこから、膿を見つけることも重要ではないかと思う。「子供の頃から、強豪球団でプレイするのが夢でした」そんなきれいごとは、もう時代遅れなのである。

強豪球団の中には、ジャイアンツだけでなく、南海時代から、変わらず僕が応援しつづけている、福岡ソフトバンクホークスも含まれている。でも僕は、このことで、チームが弱体化しようが、構わないと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 13, 2007

「未完成」の持つ輝き

球体展望室に行ってきた。

港区台場にある、フジテレビ。この建物の、写真を見たときに、ちょっといびつに感じる丸の部分、あそこに入ってきたのである。7階まで、エスカレーターで上がり、そこからエレベーターに乗って一気に昇る。

目的は「アイドリング!!!」という、昨年10月終わりから、CSフジテレビなどで月曜~金曜などに放送している番組の、放送観覧である。司会はバカリズム(升野英知)と、フジテレビアナウンサー(森本さやか・石本沙織・斎藤舞子のうちの一人)。主役は「アイドリング!!!」と称する、9人組の女の子たちである。

「アイドリング!!!」の定義は、以下の二つ。①アイドルとして進行形で成長する女の子達②経験を積んでもらう「ならし運転」の番組。番組名でもあり、ユニット名でもある。

先ほど放送時間を「月曜~金曜」などと曖昧に言ってみたが、まずは、本放送が、CS721チャンネルで、午後5:00~5:30。同じ内容の再放送が、同日深夜1:00~1:30に、CS739チャンネルで、放送される。また、同じ内容が、月~金の5日分、日曜日の午後2:00~4:15に、CS739で、ノンストップで放送されている。地上波では、フジテレビ系列で、水曜深夜1:58~2:28に「アイドリング!!!日記」という、「アイドリング!!!」の未公開部分を含む、紹介番組がある。未公開部分は、フジテレビのホームページにある、オンデマンドでも見ることができる。

フジテレビは、このオンデマンド、パソコン等での視聴に関して、この番組に大きく力を入れているという。CS放送という、自由な舞台を与えられた、スタッフ・出演者ら、「アイドリング!!!」メンバーたちは、肩に力の入らない、それでいて、しっかりと作り上げられた番組は、スタッフの考えを遙かに超える勢いで、注目を集めだしている。

アイドリング!!!の9人も、よくぞこれだけの個性ある女の子を集めたものだと、快哉を挙げたくなる、魅力的なメンバーである。

あるとき、スタッフに「メンバーに距離感を感じて、どうしてもとけ込めない」というメールが届いた、というので、番組の中で、腹を割ってみんなで話し合おう。という特別企画が、放送された。じつは、メールの主は、177cmと高身長の森本アナが、隣のMC升野との目線に距離感を感じていた、というオチのドッキリだったのだが、「つらいですね…ちゃんと見てあげられなかった…」と目に涙を溜めたのが、加藤沙耶香(アイドリング1号)。

この番組が初仕事、というメンバーも多い中で、最年長(21歳)でもあり、芸能人としての経験も最も多い加藤は、「ねえさん」「さやねえ」と呼ばれ、MC升野の信頼も厚い。そのドッキリのあとでも、重い雰囲気のメンバーを必死に盛り上げる「さやねえ」の姿があった。一方で、最年長ネタで、下の子やMC升野からツッコまれることも多い。

小泉瑠美(アイドリング2号)は、「平成生まれの昭和のアイドル」と言われるほど、ブリっ子アイドルの雰囲気を持っている。頭の悪さはメンバーでも指折りで、パニックになることも多い。そんなときの小泉は、バツグンに面白かったりもするのだが、本人としては、悩みの種でもあるようだ。

番組の中には、お題に対して、視聴者が投稿し、それを、メンバーが読むというコーナーがある。メンバー毎に投稿できるようになっており、毎日、投稿数が発表される。1位から9位まで、である。

当初、下位を低迷していた、遠藤舞(アイドリング3号)の躍進の契機となったのは、ひとつの投稿であった。「これまでの人生を振り返った川柳」というお題に、街の土鳩にエサをやるほどの鳥好きの遠藤に掛けて送られた一句が「白鳥に なれると思い 飛んでみた」。アイドルとして、スポットライトを浴びようと頑張ったけど、どうにもうまくいかないな…という、切ない一句である。

この日も最下位の投稿数14を、本人もいたく気にしており、MC升野の「そうしたらビターン!って落ちたの?」というクスグリにも「痛かったです」と苦笑するよりなかった。この日の切ない遠藤が、見る者の琴線にふれた。振り幅は大きく、投稿数が増えるに連れて、遠藤の素っ頓狂な思考回路や、スレンダーなスタイルにも磨きがかかってきた。現在では投稿数が3ケタに乗ることも少なくない。

最年少(13歳)の、江渡万里彩(えと・まりあ)(アイドリング4号)は、メガネをひとときも離さない番組の末っ子的存在。開始当初は、MC升野のツッコミにビビッて、口数も少なかったが、慣れるに連れ、自由奔放になってきた。まだまだまじめに反応しすぎるところがあり、もっと遊び心を持ってもいいかな?とは思う。「お菓子のあるときだけ甘えてくる」ともっぱらのウワサである。

メンバー唯一の関西出身なのは、滝口ミラ(たきぐち・みら)(アイドリング5号)。ピン芸人の日本一を決める、「R-1グランプリ」にも参加し、一回戦を突破するなど、多方面に活躍の場を求めている。しかしながら、番組では、面白いことを言おうとして、スベるキャラクターでもある。いつも笑顔を絶やさない、キュートな女の子だが、歌は下手。毎日、番組の最初は、9人の歌から始まる。「20世紀のアイドルの名曲」を週に1曲、日によってフォーメーションや、歌のパートを変えながら、収録している。そんななかでも、滝口の歌のパートになると、一気に緊張が走る。

訥々としたしゃべりで、オチのない話を売りにし始めているのは、外岡えりか(アイドリング6号)。「関節技を覚えよう」という企画でトップに選ばれたり、24階の球体展望室まで9人とMC升野で昇る企画では、升野に押しつけられた小道具のイスを途中から一緒に持ってあげたりと、色黒骨太も相まって健康優良児キャラでもある。あまり自分から前に出て行くタイプではない、不器用な一面も持っている。

谷澤恵里香(アイドリング7号)は、身長は小さいけれども、出るとこは出ている。出なくていいところも出ている、ちょっとぽっちゃり系でもある。ダンスが苦手で、歌も滝口に次いで怪しい。振り付けは朗らかで、元気はいいのだが、どすどすと音が聞こえてきそうでもある。食べ物のことを話している時は、破顔一笑、実に幸せそうな顔をする。

ベトナム人を両親に持ち、横浜で育ったのは、フォンチー(アイドリング8号)。どんなときでも、笑顔で、自分を売り込むことを忘れない姿勢は、もはや称賛の対象である。かと思うと、「谷澤の足が臭い」と言い出したり、弟相手に電話で怒鳴っているのをバラされたりと、裏表の激しさが、随所で指摘されている。これを通称「黒フォンチー」という(さらに毒舌が酷い場合「デスフォンチー」とも呼ばれる)。

余人には代え難い、不思議な発想力を持つのが、横山ルリカ(アイドリング9号)。中学3年生ながら、どこぞに大人の雰囲気を漂わせ、「短大生」とも呼ばれている。まじめな顔をして、シュールな面白ごとを言う、そういう横山のユニークさは嫌いではない。返す刀で、MC升野に無理難題をふっかける「升野いじり」も堂に入っていて、そんじょそこらの芸人よりもツボを知っているような気がするときもある。

4歳の男の子が来て、その子をあやすことで、9人(+特別参加森本アナ)の中でだれが一番子供に好かれないのかという企画の時、横山がその子に投げかけた第一声が「きみ、どこの(子役の)プロダクションなの?」こういう発想ができるのは、横山ならではだろうと思う。

で、その番組、および歌の収録は、水曜日と金曜日に公開で行なわれる。金曜日に、一週間分の歌収録と、月曜、火曜放送分。水曜日に、生放送と、木曜、金曜放送分。で、金曜日に見に行ってきた。クレーンカメラも使うので、間近で見るというワケにはいかないが、なかなか楽しい時間を過ごすことが出来た。

まだまだ番組も、メンバーも、試行錯誤の繰り返しだろう。あまりよくわからない故の、楽しさを謳歌している状態である。未完成のものが放つ魅力が、キラキラとまぶしい。成長は素晴らしいことだが、逆に今しか持ち得ないものもあるのだ。

いつかみんなそれぞれが、美しい白鳥として空に飛び立ったとき、未熟な輝きを放っていた自分たちに、気づくことだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 30, 2006

人気者の先生

「あたしンち」に、こんな話がある。

「あたしンち」とは、もちろん、読売新聞日曜版別冊に連載中の、けらえいこの人気マンガである。アニメでも根強い人気を誇っている。主人公は女子高生のみかん。伝説の母、無口の父、弟で中学生のユズヒコと4人暮らしの家族や、友人たちが織りなすドガチャガは、「平成のサザエさん」とも言われている。

テキストを持っている人は、7巻の32ページ(No.8)を開いて欲しい。

チャイムが鳴り、休み時間が終わろうというときに、ユズヒコの親友、藤野がとつぜんタラリと鼻血を出した。ティッシュをこよりにして鼻に詰め、ユズヒコが後ろからチョップをして止めようとするが、まんまと逆効果になる。そこへ先生がやってきて、「起立!礼!」の号令も、藤野だけは天井を向いていて、できない。それを見た先生は「ほほーっ。藤野は!鼻血か?」とにやり。まわりの同級生が、くすくすと笑いながら、じろじろと藤野を見る。

畳みかけるように、先生が「学校でなにコーフンしてんだ?何かイイモンでも見えたか?」とツッコみ、教室内は大爆笑。「そんなニキビ面で鼻血ブーなんて、ロコツなやつだなー。おまえも」となおも笑わせる先生に、「…保健室行ってきていいですか?」と藤野。先生が「はい、どーぞどーぞ」というと、ユズヒコが立ち上がり「あ、ボクちょっとつきそいます」と申し出る。「その間に大事なとこやっちゃうか」と、先生はもう一度大爆笑を誘う。

ふたり並んで廊下を歩く。ユズヒコがポツリ。「あいつ…、くだんねーな!」無言の藤野。「…あいつ、ほんとくだんねーよッ」。藤野は「ん…」と言って、ぐしゅっと鼻をすする。最後のコマで、そっから かいだんな、と言うユズヒコに藤野が、ん…と反応する絵の横には、「教室では先生が『あいつらできてる』と言ってまた笑いをとっていた」とキャプションがある。

この先生は、人気者なんだろうなー、と思う。でも、僕は、ユズヒコの気持ちのほうが、よくわかる。読んだ当時は、そう感じ、大好きな「あたしンち」の中でも、ちょっと心に残ったのである。「あたしンち」を読んでいる人は、ご承知のことと思うが、藤野といえば、頭に浮かんだことをポンと口にしてしまうノー天気さで、ユズヒコに「思考だだもれ男」とまで言わしめた、24時間浮かれポンチな男の子である。ユズヒコと二人本を読んでいる時に「尻がかゆい」と、突然言い出したり、掃除の時間は足の甲の上でホウキを立てて「だりーなー」と言いながら、それでも憎めないキャラなのである。

そんな藤野が先生の一言一言にグサリと傷ついている。ぐしゅっと鼻をすすったとき、泣いているのか鼻血をすすっているのか、絵を見るだけではわからない。でも、藤野が先生の冗談に傷ついているのは、手に取るようにわかる。

福岡で、中2の男子生徒が自殺をして、学校の対応にも問題が多く、大きな問題に発展しているが、次々と報道されることを見るにつけ、このときの藤野のことが頭に浮かんだ。

案の定、いじめの要因に深く関わったとされる、T先生は、面白くて人気者だったという。全国にはたくさんの人気者の先生がいて、その楽しい冗談に人知れず傷つく児童や生徒も、たくさんいることだろう。先生からすれば何気ない軽口も、先生がピラミッドの頂点である小さなコミュニティのなかでは、先生の冗談という重い十字架になりかねない。大袈裟と言われようが、これは真実の一面であると断言できる。

同じ冗談を言うにしても、今の流行は、人の欠点をつつく冗談である。テレビを見ると、そちらが主流派であることは、容易に見て取れる。が、たとえば島田紳助やダウンタウンらを見ていると、ツッコむ相手とは、テレビ出演という契約によって結ばれているのである。紳助のケースが一番わかりやすいけれども、プライベートなことまで、鋭くツッコむ代わりに、自分の番組でゲストとして重用している。ビジネスとして割り切るならば、悪くない算段なのだろう。なれ合いではないかという、また違った問題点もあるが、少なくとも、ツッコまれる側には、ツッコまれる側の利益というものが、そこにはあると言える。

冗談としては、明石家さんまのように、自らの身を切る冗談は、非常に技量の要るものである。逆に、他人の欠点をつつく冗談では、安易に笑いを取ることができる。だからこそ、先生は、安易に笑いを取ることに走っては、絶対にならない。生徒を笑いのタネにすることは、極力避ける、ではなく、絶対に避けるべきなのである。そんな人気者になって、生徒を自刃に追い込むくらいなら、笑いなんかない方が何倍もマシではないか。

藤野には、先生のことを、「あいつ、くだらない」と言ってくれるユズヒコがいた。だが、全国にたくさんいる「藤野」に、必ずしも「ユズヒコ」がいるわけではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 06, 2006

やんたんむらの生活

金の網をもらって、大変にゴキゲンなのである。

昨年の11月に発売された、ニンテンドーDSソフト、「おいでよ どうぶつの森」は、売り上げ300万本を越えた今でも、ランキングの上位に居続けるバケモノソフトである。「スローライフ」をテーマに掲げるだけあって、やんたんむらの時間は緩やかに流れ、何をやっても自由なのである。何をやってもいいということは、何もやらなくてもいいということでもある。

ゲームが始まると、村で雑貨屋を営む、狸のたぬきちと出会う。引っ越してきたやすだけいに、たぬはアルバイトをさせることによって、村の基本的な生活について、教えてくれる。花や木を植えて村の環境を向上させ、動物の住人たちとおしゃべりをし、手紙を書く。あ、そうそう、「やすだけい」というのは、僕が設定した主人公の名前である。

アルバイトが終わると、晴れて一人暮らしのはじまり。村の生活のひとつの基軸は、「ベル」という単位の、お金稼ぎである。川や海で魚を釣り、村にいる虫を捕る。そういった生活を楽しむためにも、まずはたぬの店で、竿や網を買わなければいけない。住まう我が家にも、たぬはローンを課してくる。ローンを返し終えると、家を大きくしたからと言って、またローンの日々となる。

家具集めは、楽しみのひとつである。壁紙や床の敷物を含め、どのようなこだわりの部屋を作るか、あれこれ考えると、ワクワクする。ローンの日々は、いつしか終わり、家には5つの部屋ができるのだが、「もっとローン払うからもっと家を大きくしてくれ」と、だれもが思うことだろう。囲炉裏や灯籠を置いて和風にするのか、人工衛星やスペースシャトルを置いて宇宙空間にしてしまうか、ほしい家具を見つけることができなかったりしてもどかしいけれども、ために手に入れたときの感慨もひとしおである。

もうひとつの基軸は、村に居を構える立派な作りの博物館。博物館は6つの部屋に分けられている。魚の部屋、虫の部屋、化石の部屋、名画の部屋、天文台、そして喫茶店。天文台では星座を作ったり、それを見たりすることができる。喫茶店ではマスターこだわりのコーヒーを飲んだり、土曜日の夜にはライブを聞くことが出来る。このライブの音源は、条件を満たせば手に入れることができ、ステレオや蓄音機などの家具に入れることで、我が家でも楽しむことができる。

のこりの4つの部屋は、「寄贈」のよって成り立つことになる。魚を釣り、虫を捕ったとき、それを博物館にいるフクロウのフータに渡すと、博物館に寄贈したことになり、それぞれの部屋で、飛んだり泳いだりしているのを見ることが出来る。名画は店で買って寄贈、化石は村に埋まっているものをスコップで掘り出し、フータに鑑定してもらって、寄贈する。この2つについては、季節に関係なく手に入れることができる。

問題は、魚と虫である。村には、実生活と同じように、時が流れる。たとえば、今日が2006年の9月6日なら、村の中も、2006年9月6日なのである。まあ、ゲームの中の日付を変えることで、今日が6月11日になることも、12月6日になることも、可能ではあるのだが、お勧めは出来ない。制約(ルール・モラル)の作る楽しみは、より結果をエキサイティングにするからである。手を使うことの出来るサッカーが、前にパスの出来るラグビーが、今以上の感動を我々に与えるか、と考えれば分かりやすいだろうか。

で、季節によって、時間によって、魚や虫は、入れ替わるのである。6月の夜には、ホタルの光が夜空を彩り、8月後半には、クラゲが大量発生する。夏にはカブトムシやクワガタ・セミが、冬にはワカサギやクリオネが村にやってくる。ヘラクレスオオカブトや、アレクサンドラアゲハなど、それぞれ56種類もの魚や虫を捕まえ、寄贈することができる。クモやガ、ゴキブリも例外ではない。たぬの店に売ることもできる。

すべての魚を捕まえると、より釣りやすい「金の竿」がもらえる。すべての虫を捕まえると、普通の網より大きい「金の網」がもらえる。僕は2月にソフトを買ったのだが、9月に入って登場したサケ・キングサーモン・アキアカネ(トンボの一種)を捕まえて、めでたく両者を手に入れることができたのである。これも、時計をいじくれば早々に手に入れることも可能である。が、面白くないでしょ?と問うてみたいところである。

時計をいじるのを推奨しないのは、もうひとつ理由がある。「Wi-fi通信」である。

僕は、どうぶつの森の楽しみで、最大のものは、Wi-fi通信だと思っている。インターネット回線を使った通信であって、会話を楽しんだり、さまざまな遊び方が工夫できる。自分の村には、果物は一種類しかならないが、通信して他の村の果実をもらって、それを植えることで村の彩りも華やかになる。たとえばやんたん村には、みかんがなる。この果実を売ると1こ100ベルだが、他の村からりんごをもらってきて、その果実を売ると1こ500ベルで売れる。また、たぬの店は、売買した額によって大きくなっていくが、もっとも大きい店に発展するには、通信で他の村から来た人が買い物をする、という条件が付けられているのだ。

Wi-fi通信をするには、お互いに「ともだちコード」というシリアルナンバーを交換して、入力し、どちらかが門を開け、他方がおでかけをするを選択することが必要になる。これは、互いの信頼関係があって、はじめてできることである。時計をいじってしまっていた場合、村に入るときと、村から出るとき、2回に渡って時空間のひずみにおちることになる。そして、村の時空間が狂った結果、住人が引越しをしていたり、村の環境が荒れ放題になっていたり、家の中の掃除が行き渡らず、ゴキブリが発生していたり(このゴキブリは、取ることができない)、よい影響は全くないのである。これは信頼関係にも大きく悪影響を与えることだろう。

この間、静岡から、いとこ家族が来た。僕は、つい最近ニンテンドーDSライトを購入して、DSがひとつ余っていたので、あげた。いとこの子供は二人兄弟で、DSをすでにひとつは持っていて、どうぶつの森を持っているらしく、やんたん村を見せてあげると、喜々として、興味深く探検していた。もう静岡に戻ってしまったが、いとこの子供たちとも、早くWi-fi通信で遊びたいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 14, 2006

冗談ですか?

背筋が凍るような思いである。

今日のサンケイスポーツの、イビチャ・オシム・サッカー日本代表監督のインタビューを読んで、笑ったのと同時に、ぞっとしたのである。

おもに、こういった、インタビューは、どうしても通り一遍のものになり勝ちである。小泉首相へのインタビューが、ときおりニュース映像で流れる。が、本質に舌鋒鋭くつっこむというよりは、「どんなもんでしょうかー」程度の、緩やかなインタビューに終わるのは、ご承知の通りである。なにか首相がへんなことを言い出しても、それに対してもう一度切り込むのを、見たことがない。

オシム監督のインタビューは、そうではないぞ、ということは、ジェフ時代から言われていた。「オシムの言葉」(木村元彦著・集英社インターナショナル 2005)にも、ジェフ時代の通訳の間瀬秀一のこんな言葉が出てくる。

「バカな質問を受けて、それを訳すと、僕が怒られます。本当に。だから、バカな質問は訳さないことにしているんです。なんで、お前のところで食い止めないんだっていう空気があるから。
 1回聞いたのに、また聞く人とかいると、僕が伝えてないっていうことになる。だから、同じ質問をしてくる人がいたら、『それって答えましたよね。言いましたよね。監督に伝えるまでもない』って、言い返しちゃいます。じゃないと、監督の信頼を失いますから」

そして同著には、オシム監督自身の、こんな言葉も載っている。「ジェフ」の部分を、「日本代表」と換えても、そのまま成り立つ。

「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を起こすことができる。意図を持てば、世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴもそういう部分があった」

間瀬通訳はジェフに残り、オシムは代表監督になった。通訳とも、記者とも、新たな関係を結ぶことになったわけである。その中で、オシムにとっては、どうしても解せない部分があったのだろう。なぜ、この記者は、ジェフでやっていたことを知らないのだろう?そして、どうしてそんな質問を、訳したのだろう?言葉が尖った。

以下サンケイスポーツより抜粋。

ー代表発表当日に練習の意図は?
「質問の意味がわからない。発表した日に練習してはいけないのですか?」

ー今回の選手選考のポイントは?
「ポイントと言われてもわからない。真剣に聞いているのですか?もう少しサッカーについての質問をお願いします」

ー選手の成長を感じるか?
「冗談ですか?1日でマスターできるのなら、私は魔法使いです」

ー千葉の選手は練習をよく理解している?
「浦和のことも聞いて欲しい」

現場にいたら、顔が凍りつくのが自分でも分かると思う。あまりにも自分のことが理解されていないことについて、はっきりと言っておかねばならないと、考えたのであろう。この4つの回答について、自分なりの解釈を加えてみたい。もちろんそれが正解かどうかはわからないし、オシムのこの回答自体が彼なりのジョークなのかもしれないが。

まず一つ目の質問、ジーコ前監督に、代表として初選出された巻誠一郎は、日本に帰ってくると、その足で練習場に向い、練習をはじめた。このことは、当然皆知っていることである。すくなくともサッカー日本代表を伝える側としては。代表でも同じ。選ばれたら集まる。集まれば練習をはじめる。何かおかしなところはありますか?という話である。集まったときにサッカーをし、サッカーをしない時間は、サッカーをする時間のための時間。睡眠も食事もサッカーのために行なうのが、プロであると考えている。それがオシムの回答に現われている。

二つ目。同じような質問であったとしても、「宮本恒靖を選出せずに、遠藤保仁(ともにガンバ大阪)を選出した意図は?」という質問と、「今回の選手選考の意図は?」という質問では、全く感覚が違う。まあ、前者の質問でも、まだオシムとしては?マークが点りそうなところだが、まだわずかの具体性はある。後者の質問は、はっきりと丸投げである。サッカーについての質問とは、具体的に、意図のある質問をしろということである。センターバックを二人しか選ばなかったこと、前戦から栗原勇蔵(横浜)が代表もれした理由、逆に試合中に足を負傷した坪井慶介(浦和)はなぜ選ばれたのか。鹿島からの選出がなかった理由などなど、いくらでも具体的に聞く要素はあった。が、今回の選出はどうですかと言われても困るのである。

三つ目は、質問の意図としては、おそらく「ジェフ以外の代表選手たちにも、オシム流の練習の動きや意図は浸透しつつあるか」ということだろう。が、やはりあまりにも質問が丸投げである。「練習をみていると、この選手のこういう動きが目立っていたのですが」といった具体的な指摘がなければ、答えようがない。オシム監督も、質問の意図を理解できなかったろうし、しようとも思わなかったのではないか。

四つ目、ジーコ前監督時代、代表にはジーコにかかわりの深い、鹿島の選手が多く選ばれていた、と言われている。オシム監督のもとでは、同じようにジェフの選手が重用されるのでは?という人もいる。意に反して、代表の主軸となっているのが、浦和の選手たちである。もちろん、鈴木啓太や長谷部誠、闘莉王に田中達也と、いずれもJリーグが世界に誇るべき選手たちである。しかしながら、そこにはジェフの選手を、ことさら重用するわけではないというオシムの意図が、はっきりと見て取れる。質問者からすれば、やっぱりジェフの選手はわかってますねー、という、ちょっとしたすりよりもあったのかもしれないが、もっともオシムの意図に外れた質問となってしまったわけである。

質問者としては、もっと知ることの出来ることは、知ってから質問してくださいと、選手たちはプロであり、監督としてもプロであり、故に質問者もプロとしての質問をしてくださいと、そういうメッセージである。まあ、今更ではあるのだが。それと、もうひとつ、通訳もプロであって欲しい、コーチもプロであって欲しいと。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2006

詩を諳んず

こんな夜は、井伏鱒二の詩に限る。

スポーツを見ることは、ストレスの発散である。はずなのだが、ここのところ、どうもそう単純に楽しませてはくれない。W杯を見れば、ジーコジャパンに川渕キャプテン。ボクシングを見れば亀田興毅。よいプレイに笑顔で拍手ができる、そんなスポーツ観戦がしたいのに、なにかを操ろうとする力があって、多くの人はそれに否定的なのに、我々はそんな力に、悔しいほど無力なのである。

名人森内俊之・竜王渡辺明・羽生善治三冠、いずれもがはっきりと「名人戦は毎日新聞主催のままであるべきだ」と名言していたにもかかわらず、棋士会は名人戦主催の朝日新聞への移行に賛成票が上回った。

なんか、がっかりというか、寂しいのである。こんな夜は、井伏鱒二の詩を諳んずるのが一番だ。名著「厄よけ詩集」は絶版となっているが、筑摩書房刊「井伏鱒二全集」の28巻に納められている。かつて、対談で「井伏先生の小説には、悪人が登場しませんね」と聞かれた井伏は、こう答えた。「悪人を書こうとするとね、疲れちゃうんですよ」。小説「山椒魚」の最後で、山椒魚に逃げ道を塞がれたせいで、逃げることがでできず、衰弱してため息をもらした蛙が、こうつぶやく。「こうなった今でも、お前を恨んではいないんだよ」

井伏の詩で、最も有名なのは、「勧酒」という、于武陵の漢詩を訳したものであろう。

コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘ(たとえ)モアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏は、阿佐ヶ谷あたりで大酒呑んだり、吉原あたりが気になったり、元の漢詩をはるかに凌駕した、井伏の世界に変化させてしまう。そんな中でも、この詩の『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』という退廃的な一節は異色だが、井伏によると、「これはね、林芙美子さんなんですよ」と言う。井伏の訳詩の魅力は、そのおだやかな時の流れだ。日本で最も有名な漢詩のひとつ、孟浩然の「春暁」、「春眠暁を覚えず」も、井伏にかかるとこう変わる。

ハルノネザメノウツツデ聞ケバ トリノナクネデ目ガサメマシタ
ヨルノアラシニ雨マジリ 散ッタ木ノ花イカホドバカリ

顎がはずれた人を電車で見たり、佐藤さんが道の脇のドブにはまったり、井伏の詩というと、ことさらユニークさが特徴とされている。でも、僕は大往生を遂げた井伏鱒二と共有する、たおやかな時間が大好きだ。こんな殺伐とした時代、がっかりするようなスポーツ界を見るにつけ、僕の躰は、井伏の詩を欲している。

最後に、「歳末閑居」を記しておきたい。

ながい梯子を廂にかけ 
拙者はのろのろと屋根にのぼる
冷たいが棟瓦にまたがると 
こりゃ甚だ眺めがよい

ところで今日は暮の三十日 
ままよ大胆いっぷくしてゐると
平野屋は霜どけの路を来て 
今日も留守だねと帰って行く

拙者はのろのろと屋根から降り 
梯子を部屋の窓にのせる
これぞシーソーみたいな設備かな 
子供を相手に拙者シーソーをする

どこに行って来たと拙者は子供にきく 
母ちゃんとそこを歩いて来たといふ
凍えるやうに寒かったかときけば 
凍えるやうに寒かったといふ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«負けました。