「寝ずの番」
六代目が映画になる。
といっても菊五郎の話ではない。上方落語で「六代目」と言えば、六代目笑福亭松鶴のことを指す。豪放磊落を地でいくような、豪快な芸の持ち主で、上方落語四天王の一人に数えられている。
先の大戦を前後して、上方落語は、存亡の危機に立たされていた。まず、噺家の絶対数が少なかった。それに、上方では寄席の主役は漫才であって、そこに落語が少しはさまるくらいの地位であった(これは今でもそうなのだが)。さらに、寄席でかける噺は、どうしても短い時間で、笑いをとる噺が主体となるため、噺の数も少なくなっていた。
上方落語四天王とは、六代目の他に、女形など、芝居噺を得意とした、昨年亡くなった五代目桂文枝(あやめ→小文枝)、高座姿が美しく、羽織を脱ぐ所作ひとつで見る者の心をつかむ三代目桂春團治、人間国宝であり、多くの埋もれていた噺を発掘して、現代に通ずる噺に整えた桂米朝のこと。
六代目は、「らくだ」や「三十石」などの噺を得意とした、噺家らしい噺家だったが、一方で、多彩な弟子を育てたり、「島之内寄席」という落語の寄席を噺家たちの力で作るための、先導役となるなど、上方落語の発展に大きく寄与した。
六代目の、このあたりのことに関しては、五番弟子の松枝が書いた、「ためいき坂くちぶえ坂~松鶴と弟子たちのドガチャガ~」(94年浪速社)に詳しい。六代目の人柄を知りたいという人にも、この本をお薦めしたい。
「五番弟子」というのは、実は、全く正確な表記ではない。先に入門しながら、辞めたり、破門になったりするケースが、六代目には多かったからである。その中には、松鶴の実子である、枝鶴もいた。現在でいうと、一番弟子から、仁鶴・鶴光・福笑・松喬・松枝・呂鶴・松葉(追贈七代目)・鶴瓶・小松・鶴志・小つる(枝鶴の弟子・のち松鶴預かり弟子)・伯鶴・和鶴・竹林・猿笑・鶴松・岐代松・伯枝・忍笑・福輔・鶴笑・鶴二。さらにその弟子には、笑瓶・仁智・笑光(現・嘉門達夫)・仁扇などがいる。多士多彩、百花繚乱である。
文枝の弟子に三枝・文珍・きん枝・小枝・文福、米朝の弟子に月亭可朝・枝雀・ざこば・吉朝(故人)・歌之助(故人)・小米朝(実子)、三代目の弟子に福團治・春蝶(故人)・小春團治・春之輔等々。四天王を中心とした、笑福亭松之助、露の五郎、桂文紅、三代目桂文我の世代が、いかに後進の育成に成功してきたかが、名前を並べただけでもわかる。
4月に各地で公開される、「寝ずの番」という映画は、六代目が亡くなる前後の、弟子たちの姿を描いている、らしい。先週の「明石家さんまのヤングタウン」で、さんまが話していた。以下明記はしないが、この放送からの抜粋と考えていただきたい。先週の木曜日に、監督のマキノ雅彦(津川雅彦)主催の、出演者や、ごく親しい人だけを招待した試写会があったという。この映画の原作は、中島らも、監修にあたったのが桂吉朝だった。ふたりとも若くして鬼籍に入り、映画の完成を見ることはなかった。
六代目を演じるのは、長門裕之。他に中井貴一(主役)、木村佳乃らが出演する。R-15指定で、さんまですら「放送では説明できん」というくらいの下ネタも、楽しく描かれているらしい。六代目の通夜の席では、弟子たちが集まって、師匠六代目についてあれこれと語り合っては笑ったり泣いたりして過ごした。おそらくこの日のことも、映画には、いきいきと描かれていることだろう。六代目や、その弟子たちのことを知って、この映画を見ると、より面白いのではないかと思う。
祖父マキノ省三、叔父マキノ雅弘から受け継いだ「映画監督の血」を、津川はこの初監督作品で、どう華開かせるか。今から楽しみである。
最後に、六代目の通夜のあと、弟子たちがどう過ごしたか。前掲の松枝の本にも書かれているので、抜粋しておきたい。
「仮通夜、通夜の客の退けた後は誰にも憚ることはない。酒も入り、ささやかな事にもよく泣き、よく笑った。松鶴の棺を前に彼らは、無邪気にじゃれあった。棺桶から遺体を出し、カンカン踊りをさせようと言う者迄あった(筆注:「らくだ」の中にこういう場面がある)。」
「言葉が途切れると、ふいに寂しさに襲われる。拭うように、又誰かが糸口を掴む」
「松鶴は今改めて、弟子一人一人の松鶴になった」
「一部始終、棺の中から松鶴が見ていたような気がして、松枝にはおかしかった」


Comments